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ボブ・ディランに学ぶ人生の教訓  

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ボブ・ディラン  ノーベル賞に触れず 決定後初公演

米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏はラスベガスで、ノーベル文学賞の受賞決定後初となるコンサートを開いた。
ディラン氏がステージに登場すると、観客は総立ちとなり、大歓声で迎えた。

会場のホテル内には開演前から多くのファンが詰めかけた。ファンの一人は、「1970年代からずっとファン。ノーベル賞は正当な評価だと思うよ」と笑顔をみせた。
ディラン氏は、総立ちでノーベル賞受賞後のメッセージを待つかのような観客に目もくれず、登場するとすぐにピアノに向かった。

「雨の日の女」「くよくよするなよ」「追憶のハイウェイ61」「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビーブルー」と続く。「運命のひとひねり」でギターを持つと会場は一気に盛り上がった。

ディラン氏は「詩人」と呼ばれる通り、かすれた声で言葉を一つ一つ慎重に曲に乗せ、ほぼ全ての曲を独白するような調子で歌い上げた。原曲よりもよりジャズやブルースに近い節回しの演奏が目立った。

アンコールに応えて代表曲「風に吹かれて」を演奏した後、最後はフランク・シナトラの「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ(なぜ今僕の気持ちを変えようとするの?)」で締めた。ディラン氏は受賞決定後もコメントは出していない。放っておいてほしいと言わんばかりの選曲だった。

コンサートではノーベル賞受賞の話題だけでなく、曲間のしゃべりは一切なし。ステージは暗く、ディラン氏の顔もかろうじて見える程度。声と曲が強調される演出で「歌が全て」というパフォーマンスだった。会場はうなずきながら座って聞く客が大半で、落ち着いた雰囲気だった。

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ディランの成功と失敗の例から得られる5つの教訓

  自分のやっていることに常に情熱を傾ける
自分が作り出すものに熱中しているときには、仕事こそが重要だと感じるだろう。そのことが、うんざりしたり意気消沈するような日々を乗り越える助けとなる。ディランは世界中で年間約100回のコンサートをこなす。もはや、お金や、ポップカルチャーの歴史の中で地位を確立するための名声も称賛も必要ないだろう。しかし、彼が自分のやっていることを情熱的に信じていることは明らかだ。
  常に大局を見てあぶく銭の罠を回避する
自分自身のための作戦を練る――途中で手を加える必要が生じるにしても。ディランは2004年に執筆した見事な自伝『Chronicles, Volume One』のなかで、古くからの友人でポップ歌手のボビー・ヴィーと1961年にニューヨーク市で会った時のことについて書いている。当時、ヴィーは成功の波に乗ったポップ・ミュージックのプリンスで、ディランは人気が出かけのみすぼらしいフォークシンガーだった。その時の友人を見て、ディランは自分が正しい方向に向かっていると確信した。ディランはフォークシンガーとしての自身のビジョンを忠実に守り、素晴らしい成果につながった。ディラン自身がかつて、「Don’t go mistaking paradise for that home across the road.」と歌っていたように。
  波風を立てることを恐れるな
「フォークシンガー、ボブ・ディラン」として知られる製品は65年に全盛を極めていた。ディランの米国や英国でのコンサート・チケットは売り切れ、若者たちは彼を「時代の代弁者」と呼んだ。しかし、ディランはそこで立ち止まることなく、成長と変化を追い求めた。ロックンロールのバンドを携えてレコーディングやステージを始めようと決心した。彼の純粋なフォーク・ファンは当初、愕然とし、65年と66年に実施した世界ツアーでは、ディランの新たな試みに会場のいたるところでブーイングが起こった。それでもディランは自身のビジョンを維持し忠実に守り続けた。そしてついにファンも同調するようになった。要するに、ディランは波風を立て、大改革を行うことを恐れなかった。
  他人から刺激を求める
ディランは駆け出しのころ、ウディ・ガスリーといった自分と同じようなシンガー・ソングライターに刺激と英知を求めた。80年代までには、創造面で休閑期に入っていて、今一度、刺激を得られる人々を見つける必要があった。トム・ぺティ・アンド・ザ・ハートブレイカーズやグレイトフル・デッド、トラヴェリング・ウィルベリーズと組んでみた。結果はというと、89年のアルバム『Oh Mercy』はそれまでの10年間で彼の最高傑作ともてはやされた。
  基本に立ち返る時期をわきまえる
最も熱心でエネルギーにあふれた起業家でも遅かれ早かれ壁に突き当たる。これは避けられない。こうした種類の挫折をいかに勝利につなげるかが問題だ。その答えは、基本に立ち返り、そもそも何に背中を押されたのかを思い出してみることだ。ディランの90年のアルバム『Under the Red Sky』は酷評され、売り上げも散々だった。そのアルバムのリリース後、ディランはマリブのホームスタジオに戻り、10代のころに演奏していたアコースティック楽曲のアルバムを2枚、レコーディングした。このことをきっかけに正しい軌道に戻り、オリジナル曲を集めた次のアルバム『Time Out of Mind』(タイム・アウト・オブ・マインド)は98年のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞した。

上記の記事はウォールストリートジャーナルに 2012年9月13日に掲載されたものです。

ノーベル文学賞決定から彼に関する記事を読んでるが、『文学』という文脈の変化と、自分や世間を俯瞰で見ることによって、基本に立ち返る時期をわきまえ、思想、発見、自身のビジョンを維持し、忠実に守り続ける事の大切さを学んだ様な気がした。


引用:日経電子版、ウォールストリートジャーナル日本語版
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